タイのスイス村 「バン.ジャン」


バン.ジャンはイサン地方のロイ.エット県の奥にある小さな村である。県中心部から曲がりくねった悪道を車で何時間も揺られて行かなければならない。この悪道を行くとバンコクと勘違いしてしまいそうな近代的な家を持つ田舎の村「バン.ジャン」に到着する。
ここではイサンの貧しい村に共通して見られるようなみすぼらしい家は見られない。代ってチーク材の2階建ての家としっかりしたヨーロッパ調マンションが立ち並んでいる。
村至るところが豊かさで溢れている。建築中の新しい家。改築中のお寺。新しく建てられたクリニックの塗り立ての看板。近代設備の新しい学校。そしてそこで勉強する子供たちの清潔でアイロンがけされた制服。イサン地方に多く見られる貧村とは全く異なっている。
ほとんど家の前にはタクシーを止めるスペースがある。そして家の中には若者が遊ぶスヌーカテーブルまである。
バン.ジャンを金持ちの村に変えたビジネスとは何なのだろう。決してタクシー稼業などではない。
バン.ジャン外の村人はこの村を別称で「スイス村」と呼ぶ。そこに答えがあるようだ。
「スイス村」の歴史
15年前からこの村の女性たちはスイスへ売春婦としてお金を得るために出かけ続けている。そのおかげで村は裕福になっていったのだ。
それはあるタイ人の女の子がスイスのゴーゴー.バーの踊り子になったことから始まった。彼女はスイス人と結婚し国籍を取得し、そこでバーをオープンし成功した。
彼女は家族に家を建てる資金や自動車を買うお金を送った。彼女がタイに里帰りしたときには、それを知った村の若い女性たちが自分も働かせてくれと押し寄せてきたと言う。
彼女と同じく裕福になりたい多くの10代の女の子がスイスで働くため学校を辞めた。親たちもそれを許した。 2年前にはこの村の若い女性教師までスイスへ渡って行った。
スイス.ガール ピムの話し
ピムはバン.ジャンのスイス.ガールの1人だ。彼女は酒飲みの男と結婚し失敗した。そして大きな借金を背負ってしまい、スイスへ行くことを決心した。「みんなが私を軽蔑した目で見ていたのは知っていたわ。でも誰も助けてくれなかった。私自身で何とかするしかなかったのよ。」と彼女は言う。
しかしピムが考えていたよりスイスへ行くこと簡単ではなかった。彼女は貿易でもするような、すでにシステム化された手続きをクリアしていかなければならなかった。
最初、彼女はセクシーなセミヌードの写真をスイスのエージェントに送った。エージェントは気に入った女の子だけに契約書を送って来る。
その後スイスのタイ代理店で彼女たちは客の接待の仕方やフランス語とドイツ語の勉強させられる。そして準備がすべて整うとスイスへ行くことができるのだ。
彼女たちは8ヶ月の労働ビザでスイスのいろいろの場所へ送り込まれる。ピムはスイスに着いた日を思い出し話してくれた。「寒さと時差ボケがあったけど、すぐにラウサンネと言う町へ送られたわ。そこで水着姿で踊ったわ。ある客は寒さと恐怖で震えながら踊る私を笑っていた。またある客は体を触ってきたわ。でも私たちは何の抵抗は許されないの。客を怒らせることは絶対にしてはダメだった。」
ゴーゴーダンスが終わると彼女たちはすぐ客に近づき、なれないフランス語やドイツ語で出来るだけ多くのお酒を飲ませる。「それが出来なければくびになってタイへ返されてしまうのよ。」
彼女にとって新しい生活はショックであった。しかし最初の月に20万バーツ(1バーツ=約5円 4/1997)を自分のものにしたとき、彼女は自分のやっていることが間違ってはいないと思うようになった。
人々はイージ.マネーと言う。ピムは言い返す「いやがる自分を励ましながら得たお金よ。これがイージ.マネーなの?」
多くの客が彼女にセクシャル.サービスを要求して来る。ある客は乱暴で彼女たちを見下した扱いをする。「彼らは差別主義者なのよ。しかし自分に言い聞かせるの。耐えなければならないってね。」と彼女は言う。
午前2時を過ぎれば彼女の自由時間である。20分のショートタイムの売春で1万バーツが手に入る。彼女の誘いに客が同意すれば、ATMですぐお金を下ろさせお金を貰う。
サディストはどこにでもいる。彼女は彼らを避けるためアグレッシブなコスチュームに着替える。また、エイズを予防するため必ずコンドームを自分から確認して客に付けるようにした。
ピムは8ヶ月の契約を終了し100万バーツを持って村に帰ってきた。そのお金で前の夫の借金も返した。そして家族に土地や家、テレビそして携帯電話も買ってあげることができた。
村に帰ってから
スイスへ働きに出かけた多くの女性はスイス人と結婚しスイス国籍を取得して、スイスに住みたがる。しかしピムはこの仕事を辞めることを決意した。
「私自身は売春が嫌だった。借金も返したし家族のため家も建てたけど心に傷跡が残ってしまった。それを癒すためにも新しい人生をスタートしなければならないわね。」とピムは言う。
ピムは村は豊かになったが家族の崩壊が始まったことを感じている。昔の村は家族を大切にしていたし、助け合っていた。
スイスで金塊を掴みたいという主婦が増え離婚が多くなった。夫たちもスイスからお金を送ってくれると言う条件で離婚に同意した。夫たちの多くはタクシーを買った。しかし、彼らの女房や元女房が彼らを養なってくれる。彼らはタクシーを運転し働く必要はない。
離婚せずに出かけた若い主婦も多くいる。彼女たちはスイスから帰ってからの新しい人生のスタートを夢見ている。しかし皮肉にも帰ってきたとき、彼女たちはスイスに行くことに同意してくれた夫たちがもはやそれを許してくれないことに気づかされる。
「最初はお金も入るし生活も豊かになるんで喜んでいました。しかし彼女が帰ってきたときこのお金が何処から来たか考えるたび心が痛みます。私は彼女の何なのでしょう?夫とは彼女にとって何なのでしょう?」と妻をスイスへ送ることに同意した夫の1人が言う。
「妻がもう一度スイスに行くと言ったとき私はそれを許すことは出来ませんでした。しかし妻は聞きませんでした。私は考えに考えたすえ離婚することにしました。今の私の立場に我慢はもう出来なかったのです。」
スイスで失敗したタイの娘は
ピムの話しによればスイスに渡った若い娘が全てお金もちになって帰ってくるわけではないと言う。「10代の娘たちの中にはスイスの生活に対応できずお客を満足させることも出来ない娘もいた。彼女たちは送り返されたわ。でも帰ってきた彼女たちは村にいることも出来ずバンコクの歓楽街へ流れていくしかなかった。」
このバン.ジャンで生活を続けることは村の若い娘たちに大きなプレッシャと成ってきている。家族の今のハイレベルの生活を維持して行くために彼女たちはスイスへ行かなければならないのだ。
これからの村
マハサラカム大学で歴史を教えるアーサ.ナンタチャクラ教授は言う「バン.ジャンは全部を売春に頼っている。そのことが村の共同社会を弱くしている。」
彼は家族のために売春を行い、罪の意識を感じている少女たちを非難することはしない。教育を受けたものは彼らの技術を売ることができるが貧しい者たちはほとんど選択の余地がなく彼らの体自身が売ることしか出来のだ。
「バン.ジャンの若者は道徳上の十字路に立たされている。」と彼は言う。「男の子は女の子の売春で得たお金で楽な人生を送くることが当然と思っている。他方女の子はスイスで家族を助けるために働くことが良い娘だと思っている。」
村の男の子はほとんど甘やかされることに慣れてしまっている。一生懸命働くことの価値や責任感は彼らには無い。彼らの父親と同じに10代の男のこたちはスヌーカー.テーブルに集まり、酒を飲み、煙草を吸いながら一日中過ごしている。中には麻薬に手を出す子もいる。
アーサ教授は言う「村の人々を道徳的に非難することはやさしいことだ。しかし我々の社会がこのような貧しいものたちの退廃に無関心でいる限り、また彼らに人生に置いて良い生活が出来るチャンスを与えることが出来ない限り、村人たちが唯一良い生活をする手段と信じているこの考えを改めさせることは難しいだろう。」


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