物ごいの村


ソンポーンは66歳でシーサケット県の自分の村バンモットに2階立ての木造の家を立てた。彼女は少なくとも正直に生きてきた結果だと誇らしげに話しを始めた。

20年前彼女と5人の子供たちは藁葺き屋根のほったて小屋で雨期には水をしのぎ、乾季には風と戦いながら過ごしていた。
彼女は1人で6人の家族を支えていた。イサン地方の貧しい農民たちの平均賃金である1日30バーツしか稼げない彼女にとって食べ物の不足はいつも深刻な問題だった。

彼女はイサンの貧しい村人と同じように子供たちを養うためにバンコクへ稼ぎに出かけた。

驚いたことにバンコクの道路ではお金が簡単に見つけられたのだ。ただ「子供たちに食べさせる物がありません。どうかお恵みを。」と通行人に言えば良いのだ。それから彼女はバンコクの裕福な市民からお金を恵んで貰う貧民集団の一人となった。彼女たちに与えられるコインはバンコク市民に取ってほとんど価値のないものだ。
そして20年間彼女はコインを貯め続け彼女と家族たちの家を立てたのだ。

そればかりでなく彼女は子供たちに1日の3度の食事を十分与え、全部の子供たちにタイの義務教育を受けさせたのだ。これが彼女の一番の誇りだった。

物ごいから運命を変えていったのは彼女ばかりではない。120世帯の住むこの村の約90%がバンコクで物ごいをして生計を立てているのだ。彼らはこの商売で富をつかみ最貧民のレベルから抜け出ることが出来た。

しかし教師であるソムノーク氏は言う「20年前に彼らは建築現場で働くより物ごいの方を選んだ。そのときは彼らには教育もなかった。経済的問題や病気になったとき彼らはどうして良いか分からなかった。また彼らは教育のある雇い主にだまされることが怖かった。それに比べると物ごいの方が安全で確実なお金を稼ぐ方法だったのだ。」

ソムノーク氏はバンモット村で育った。彼ほど村の状況に詳しい者もいないし、この状況に心を痛めている者もいない。彼は大学を卒業し教師になった。彼は物ごいが将来反対に村に災いをもたらすことを実感し始めている。

通行人からお金をもらう手っ取り早くて、容易な行為が村人に他人から施しを受けるのが当然だという考えを植えつけてしまう。そして経済的に豊かになったとしても堕落したこの行為は村人自身を軽蔑される人々に変えてしまうのだ。
「物ごいは貧しい人が生活費がないとき行なう解決方法ではありません。彼らは自分の足でしっかり立たなければいけません。村人の多くがバンコクへ物ごいに出かけて行くのを見ると悲しくなります。私は自分の隣人たちをいやしい者たちだと思いたくありません。」と彼は言う。

見下される子供たち

ソムソーク氏は悔しい思いをした子供時代のことを語ってくれた。

「学校へ行くと他の村の子供たちが乞食の子、乞食の子と言って仲間外れにするんですよ。彼らは私を友達にしてくれませんでした。私自身の親戚も実際にバンコクで物ごいをしてましたから言い返すことも出来ません。でも私は彼らに見下され続けるのは嫌でした。ですから乾季の間、道路で物を売って自分で努力して良い教育を受けたのです。」
ソムソーク氏はバンモット村でただ一人の大学の学歴を持つタイ人なのだ。

この恥辱はソムソーク氏の年代の人たちだけではない。この村の子供たちはいつも同じ屈辱に苦しんでいる。

ニッドは13歳である。彼は近くバンプラヲーン村の学校に通っている。
「周りのみんなはバンモットの乞食の子と言って僕をばかにしてからかうのです。先生たちさえも僕たちの両親を見下しているので、しかるとき物ごいの子供といってしかります。そのとき僕は劣等感を感じます。」

ソムソーク氏はこれはフェアではないと主張する。「子供たちは関係ありません。村の子供たちの何人かはこの屈辱に耐えきれず登校拒否になってしまいます。」

何年間かソムソーク氏は村人に物ごいを止め一生続けられる確実な仕事につくように説得して回った。しかし村人は全く聞き入れない。
「彼らは言うんですよ。物ごいは正直な生活を支える仕事だ。彼らは人の物を盗むことはしないとね。」ソムソーク氏は語る。

大人の説得は不可能だと考えソムソーク氏は子供たちに働きかけ始めた。

「私は子供たちに誇りを持てと教えています。真っ当な仕事は彼らの誇りを強くすることが出来ます。私は彼らに物ごいのマイナス面を示しています。それを理解した子供たちは親たちにバンコクへ行くのを止めるように頼んでいます。そうしなければ学校に行かないと言ってね。」ソムソーク氏は言う。

ソムソーク氏によればバンモット村はシーサーケット県でも2,000ライの水田しかない貧しい村だ。彼ら自身が食べる量のお米も取れない。そしてこの乾燥した土地で育つ穀物も少ない。また村人もほとんど農業の知識がないのだ。

「村人はこの貧しい土地を肥沃な土地に変える方法も知らないし収穫期まで待つことも出来ない。耐えることを知りません。」

社会施設の不足

この村にはお寺もなければ学校もない。他の村を見てみるとこれら2つの施設は村の共同社会を作るのに大きな役割を果たしている。 「一般に宗教の指導者としてのお坊さんはいろんな面で人々を援助してくれます。また教育のある教師は政府の役人に村の援助をしてくれるよう頼む村の代表者の役割を担えます。しかしこの村にはこれらの指導してくれる人が誰もいないのです。」

バンモット村はインフラレーションも整っていない。電気も数年前に引かれたばかりだ。「この村は全くおくれています。公衆電話もありません。緊急事態が発生したらどのようにして外部に連絡するのでしょうか。急病人や犯罪が起こったらどのようにして病院や警察に連絡するのでしょうか。我々の村は周りに比べ開発がおくれています。これは不公平ですよ。」

ソムソーク氏は数年前から政府の村開発を待つことをあきらめて近くの村と共同して農業の改革に乗り出した。今は乾季でも水が供給出来る貯水池が完成している。

今ではバンモット村人は多くが物ごいから農業に専念するようになってきたが女性やお年寄りはまだバンコクに物ごいに出かけている。

「お金を恵んでもらうため生まれたばかりの赤ん坊をつれている女性がいるのが事実です。子供のなかには免疫がないため死んでしまう子も何人かいます。これはもう村の問題ではなく国の問題なのです。貧困者は誰が助けるのでしょうか。」とソムソーク氏は言う。

「バンモット村でも男たちが数人物ごいに出かけています。彼らはタイの楽器を演奏したりして物ごいをしています。男の方が物ごいに対し羞恥心が強いようです。しかし一家を支える責任感から物ごいにはしるのでしょう.」

今バンモットでは収穫期を終えた。また村人が物ごいのため、バンコクへの旅行の用意をし始めている。しかしタイは不景気のまたっだ中である。当然物ごいのお金も減ることだろう。これを機会に物ごいを止めしっかりした仕事について人間の尊厳を取り戻して欲しいとソムソーク氏は思っている。


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