タイにベビーブームが必要

家族計画プログラムの強制の成功は高い水準を示し、25年後の今日、この考えに疑問を持つ研究者たちが現れた。彼らは政府に対し政策をもとに戻し、赤ちゃんをたくさん産むようにすぐに手を打つべきだと主張している。
彼らはタイ国はもうすでに出生率が補充率(生まれた人と死んだ人の人数が同じになり、人口の増減が0になるような出産率)以下に落ちこんでおり、人口のコントロールはもう必要ないと見ている。
産児制限はマンパワーを不足させ、タイ社会が年寄りだけが多い、すえ恐ろしい人口構成にしてしまう。
25年前に家族計画の効果について研究をはじめたティアング パッタイソング氏の論文「タイ社会の崩壊、家族計画のインパクト」の中で、徐々に減少するチェンマイの田舎の出産率がレポートされた。
研究では他の地域でも似たようなパターンを示している。
ティアング氏はチェンマイ大学のコミュニティ・メディシン・デパートメントの1員で1996年7月8日に行われた人口と社会研究のためのマヒドン大学主催「次の時代での人口政策の変換」の会議で彼の発見したことを発表した。
彼は研究で1975年と1977年の資料から導き出したチェンマイ県とランプン県のデータと1961年に逆のぼったデータを他の県と比較した。そしてそれをベースにして、チェンマイ県とランプン県の出生率が家族計画プログラムを実行後、15年もせずに50%も落ち込んだことを見つけ出した。
家族計画プログラムはチェンマイ県とランプン県には他の県より7年早く導入された。
また研究は1977年から1986年にかけて、チェンマイ県の都市、田舎とも女性1人当たりの出産率が落ちんだこと示した。出産コントロール以前(1960年)では女性1人当たりの平均は5.2人だったが、1980年には補充率である2.3人に落ち込み、さらに1990年には1.46人までになっている。
1988年の記録によれば、チェンマイの26カ村で子供が生まれていない。そして、チェンマイの23%に当たる219カ村で1から4人、残りの767カ村で10人以下であった。
チェンマイの人口の自然増加に関して、記録からティアング氏は次のことを見つけ出した。
・チェンマイの10%に当たる132カ村では出生率より死亡率が高かった。
・8%に当たる104カ村では出生率と死亡率が同じで増加率は0であった。
・61%に当たる1、040カ村では人口の増加が見られた。そして、一番の増加を示したのは山岳民族の村の1つの1.5倍であった。
そして1995年の統計によれば、チェンマイ県のサンパトンとマエオン地域が人口の成長率はマイナスを示している。
およそ50%にあたる小学校が新入生がないため、閉められた。チェンマイの学校の9.5%に当たる106校が生徒が少なくなりすぎて閉められた。110校の学校では、いくつかのクラスが空いてしまった。閉められた学校の中には生徒の減少のため3つの学校が併合されたケースもある。
厳しい労働者不足がすでに始まっている。それがタイの中でおおぜいの外国人労働者の移住の原因になっている。ティアング氏の論文によれば、ミャンマーの国境の近くのマエソット、チェンライ、タックでは、ビルマ居住者がタイ人より多くなった。ある地域ではタイ人9万人に対しビルマ人12万人である。
チェンマイのある商店では50人のワーカがいたが今はたった1人になってしまったのところあるし、ワーカを見つけられず閉めたところもある。
国全体で見ても、出産率は低下している。その比率は1980年代前半に急激に減り始め、中半には補充率の2.3人になり、1980年後半には割り込んでしまった。
北部と中部とバンコクもまた出産率の大きな低下が見られた。今、北部の1.8人に対し中部は1.7人である。東北部および南部は2.4人でゆっくりと減り続け、補充率に非常に近くなっている。
ティアング氏は彼の論文の中で、タイ国は家族計画の政策を2.3人以上の出産率になるようすぐに改正する必要がある。さもなくば老人が若者より多い非常事態になるだろうと言っている。
また、彼は「今のタイ社会はたくさんの老人を支えて面倒みることは困難であるり、世界中で人口構成がタイほど急激で顕著に変化した国はない。」と言う。
マヒドン大学の人口と社会研究会の研究者クソル スントンタダ氏は協会に提示された5つの論文が出産率をこれ以上減らす必要はもうないことを示していると言っている。
5つの論文は出産率の低下、先端技術と労働市場、エイズの死亡率、老人と適切な人口数について網羅している。
クソル氏は、「避妊法が広く使用され、カップルたちは生活費を押し上げる子供を欲しがらなくなった。今、タイで最も必要なものは住民の質を向上するための政策である」と言う。
政治学者のチャイアナン サムバダニジャ氏は言う。「タイは新興工業都市をめざしている。もっと知識をもつワーカが必要だ。」チャイアナン氏によれば、人口の大きさが重要ではなく、人民の質が重要である。
インターネットや光ファイバのブームで社会はもっと複雑になっていく。チャイアナン氏は言う。「であるから、タイは人民の質の向上も加えた人口発展計画を群、地区、県レベルで詳細に行う必要がある。」
厚生課主任のプラクノム ヴティポン氏は「タイはこれから20年で6千9百万から七千万になるだろう。そして、出産率は以前より下がるだろう。」と言う。
1990年から1995年の間、出生率は1000人当たり10人から20人あいだが記録された。これから25年は、1000人当たり10人に減るだろう。そして、死亡率もまた下がるだろう。

家族計画プログラム後に消えた村

かつては幸せの村だったテュング ビイ村は今ではほとんどひと気のないさびしい村になっている。子守り歌を歌う若い母親の声はもはや流れてこない。
北部の県にあるマエ ワング地域では、以前には大きな家族が住んでいた幾つかの大きな木造の家が荒れ果て放棄されているかのよう存在する。
このひと気のない村から、村のみんなはどこに行ってしまったの?子供たちはどうしたの?の疑問だけが浮かび上がってくる。若者の活気が奪い去られた村が出現し、そこでは昔ながらの歌を歌う老人たちを見ることができるのみである。
パニャチップさん60歳はこの何年か、一人で大きな木造の家にすんでいる。彼女には5人の子供がいるが、それぞれが自立して他の村へ出ていってしまった。
彼らのうち4人は結婚し、子供がいる。彼らは特別なときだけ彼女を訪問するだけである。
彼女は「彼らは私と違って、経済的に充分に自立してないため、子供をたくさんもちたがらない。1人の子供に食べさせて、学校にいかせるのがやっとさ。」と言う。
30歳になる5番目のこどもは、まだ結婚する予定もない。そして自分の将来のため一生懸命働いている。
この老婆は空の米倉の下に在る、まに合わせに竹で作ったベンチに腰掛けながら言う。「私の亭主は15年前に死んだが、決してさびしくはなかったよ。なぜなら、子供を育てるのに忙しかったからね。」
彼女の唯一の慰めは近くの村に住む長男が時折来て、彼女のために料理を作ってくれることである。かつて、彼女の家は子供たちや彼らの友達でいっぱいだった。しかし、そういうことはもう二度とないだろう。
「私が死んだら、今の米倉のようにこの家もかっらぽになってしまうだろうね。そして、他の家のように荒廃してしまうのさ。」と彼女は言う。
バンマ カップトン村の近くでは、小学校を五十代の20人の男たちが壊していた。そこの教師の1人だったソムバット ナムガム氏によれば、この仕事で若い人を見つけるのが難しく、取り壊しの仕事を熟練の年寄りに頼むしかなっかたと言うことだった。
水田に雑草が生い茂り、急激な若い力の不足は村を老人の村へと変化させ、子供を頼っていた老人たちも自分たち自信で仕事をさなければならない。
チェンマイ大学部の薬学部のティアング パードタイソング博士は「家族計画の成功は重いつけをはらわされている。」と言っている。
家族計画の概念は深く若者の心を捕らえていて、2人以上の子供は持とうとはしない。その概念に、彼らは、将来に会うかもしれない苦難に対処する処方箋があると考えているからだ。
村を作り上げていた最小単位である家族自体が死のうとしている。商品はサービスを作りだすマンパワーと共に買い手が必要だが、これらが居なくなってしまうとき、経済は困難な状態に直面してしまう。と彼は付け加える。
「我々の村は崩壊の縁にいるのだろうか?」彼は答えの出しようない質問をする。ティアング博士はチェンマイは家族計画が1963年に導入された最初の県だったと言う。それから、1967年政府が無料で避妊具を各村に配り始めた。
そのキャンペインの種が皮肉に実を結び始めている。低い出産率が急激な人口成長率の減少を起こした。
ティアング博士の研究では、過去20年の少ない出産数が年齢別の人口構成で不釣り合いなグラフを作りだしている。
10年以内にその年齢グループの人たちが人口で大きいシェアを取る。そのとき労働可能な年齢の人口は減少すると専門家たちは言っている。
今、老人は全体の人口6000万人のうち6%であるが、西暦2020年までに20%にはねあがるだろうと彼は警告する。
彼は特にチェンマイがこの問題に最初に直面するだろう県になるだろうと警告している。平均では、2005年から2010年までに家族の中で4人のお年寄りを一人の子供で世話することになるだろう。その孤独と経済的圧迫が人々を苦しませ、自殺者の増加につながる可能性がある。今北部の1人の女性が人生の中で産む指標は2人より低い。これは人口を充分に補充できると考えられている利率より低い。
「これは、期待される2.3人より低い数値である。これは良くないサインである。出産率は増加させる方が減少させるより難しい。」とティアング博士は主張する。
彼は家族計画プランニングを逆にすることを提案しそしてまだ希望をのこすために国の経済及び社会開発の立案勧める。
サワング スリヤ氏はテュアン ビイ村のワット ドンカエ校の校長であった。彼は次に述べる理由で学校が廃校にされ、マエ ワング教育地区から移動させられてしまった。
サワング氏58歳は小学校で20年を過ごし、5年前80人の生徒のいる学校の校長に任命された。定年まで勤められるはずだと簡単に考えていたが、今から2、3ヶ月前には14人の生徒だけになったため、彼の学校は廃校になり、同じ地区にある他の2校と併合となったのだ。
「生まれ来る者が少なくなってしまった。ここ何年か近所で小さな子供を見かけることがなくなってしまった。私たちの地区の学校は1つ、また1つと廃校にされてしまうと思うよ。」彼は言う。