タイの王様


王位継承

ブミポン国王は1946年、彼の兄の突然の死によりわずか19歳のときに王位を継承されました。それは700年続いた絶対君主制が終わり、平和的に民主主義に引き継がれてわずか14年後のことでした。
当時を元首相アナン パンヤラチュン氏は回想録でこのように分析しています。
「ブミポン国王が王位を継承されたとき、政府は力もなくタイは混乱した時代でした。民主主義を掲げた軍隊が支配力を持っていましたが、初めの民主主義の精神と目的を見失っていました。」
「タイは将来への展望の明かりが必要でした。それゆえ若い国王は政治と軍隊の基盤として注意深く歩いていかばなりませんでした。」と元首相は言う。
1946年国王は自分自身の準備のため、憲法の勉強にためスイスのラウサネ大学へ戻られた。アナン氏によれば、国王はここで専門の勉強を科学から法律に変えられたと言うことです。
当時のことを書いた王様の日記にはこう書き記されています。
「車が見送りの群衆の中を道路に沿ってゆっくりと航空へ進んでいました。そのとき、誰かが叫んぶのを聞きました。“私たちを見捨てないでください!” そのとき私は叫び返したい気持ちでした。国民が私を見捨てないのに、何故私があなたたちを見捨てられるのか。」
20年後王様はこの人に再会したそうです。そのとき王様は彼に言いました。「あのときの貴方の言葉が私の心にタイに対する義務とタイへ絶対戻る強い意志を刻みこんだのです。」
王様は戻ってきて1950年5月5日の即位式に決意を新たにしたそうです。「私たちはタイの人々の利益と幸せのため公正さをもって上に立とう。」

激しい職務

王様の自己を殺した多くの仕事は王様がどんなに人民や国の安全をを思っているかを証明しています。
彼が即位してから地方では幾つものタイの人々を脅かす事件が起きています。アメリカとソ連の冷戦下の共産主義者のタイ北部での暴動、タイ南部でのモスリムのタイ分離運動そしてタイ北部の山村での麻薬栽培などです。
このとき王様が為されたことが“King's Living”博物館に残っています。
1970年に起こった共産主義者の反乱には軍隊に助言を下さり、この地区の人々の暮らしを良くするべく自らも危険地帯へ行くことを強く望まれました。
王様はタイ政府が解決出来なかった問題に対しても、解決のための多くの手助けを為せれています。彼は1年のうち200日以上も地方の訪問で過ごされているのです。そして彼によって2000以上ものタイ人の生活向上のためのプロジェクトが開始されています。
王様が地図を持ちひざまずかれながらタイの人々に質問されている写真は多くの人も見ていることと思います。これは直に人民に接して彼らを知り、また王様自信を彼らに知ってもらうためいつも為されていることなのです。
王様と会ったチェンマイ県ドイサケット地区の開発研究所者の一人は彼のことをこのように言っています。
「その日は雨でした。森の中で王様は膝を泥だらけにすることなど意に介さず、土を手で握りじっと見つめてそばに居た王妃様に言いました。“見てごらんこの土を。土壌は前よりずいぶん良くなっているよ。”王様のいつもの厳しい顔は雨と汗とで濡れていましたが、喜びで輝いているようでした。それは私たちの希望でもありました。」
王様の持論は“正しいことをせよ“です。生命を失っている土壌さえ、人が自然の相互間系の法則を理解し知って、それに沿って正しい処置をすれば生き返らせることができるのです。
王様が土を握ってなされた振る舞いは別にして、彼がいろんな地方を回られたのは自然からの収穫を豊富にすることが貧しい人たちの健康や生活を維持する保証であると信じていたからです。そしてそれは国の安定を確かなものにしたのです。

開発のバランス

王様は水資源の確保など自然開発の目標を立てるときも植林や自然保護も考えられています。スムサット博士によれば王様の開発方法は人間と自然の相互依存を取り入れることを第一の原則と為さっていると言うことです。
それゆえ貧しい地方の人々の生活を良くするため、王様は重要と考えている自然とそこに住む人間の内部バランスをまず取り上げられます。ある本で王様は言ってらっしゃいます。「もし人々が平穏で自給自足ができるのなら、タイが後進国だと評価されることは問題ではない。貧しい人々や自然を全く考えずにイデオロギや経済力や工業力がひとり歩きしてしまう国はいつか争いや社会的暴力のある世界へ入っていってしまうのです。」
「開発は土地の状況やそこに住む人々のことを尊重しなければなりません。私たちは自分たちの考えを押し付けることはできません。私たちは人々と会い、何を彼らが必要としているかを理解して、彼らに何ができるかを説明するのです。」
地方開発に際して、私たちが感じるのは王様は個人の意見を尊重し、民主主義を尊重なされていると言うことです。
スムサット博士は王様について言っています。「もしある村で彼らと意見が一致しなけば、王様は自分のプロゼクトを延期なされるかキャンセルされるでしょう。王様はいつも言ってらっしゃいます。“ロイヤルプロジャクトは私たちの意見だけで為るものではありません。批評も変更も受け入れられるのです。”」

王様の権利

タイでは民主主義に従い王様も私的意見を言うことができます。
去年のバンコクの大洪水やひどくなる交通渋滞について、タイの2つの政党パランタムとプラチャーコンと一緒に問題に取り組まれました。
王様はおっしゃいます。「ある人は何故王が政治に意見を述べるか尋ねるかもしれない。タイの王もタイ国の人民の1人なのです。タイ憲法下では人民と同じ権利と自由を持っているのです。憲法下では王も何を言おうと自由なのです。もし、そのことで誰かが私を訴えて告訴するなら私は受けて立ちますよ。」
元首相は公ではありませんが言っています。「彼は法の管轄外である。」多くの政府役人も言っています。「王様の関心は貧しい地方の人たちばかりでなく、都会の人々にもあるのです。我々人民のことを考えられているのです。」
1992年5月に起こった事件で、王様は対立するチャムロン議員とスチンダ将軍をチララダ・パレスに呼んで民衆の前で彼らを向かい合わせました。
このとき王様のことをチュラロンコンの教授トングトン氏は本に書いてます。「あの仲介は民衆が期待していたより遅かったかもしれない。なぜならスチンダ将軍の政府には力がまだあったし、王様は政府に命令を下すことを嫌がっておられたからだ。」
しかし元首相アナン氏は言っています。「王様の仲介のタイミングはとても重要でした。もし早まっていたら望んだ結果になるよりもっと悪化したかもしれません。」
この仲介後、虐殺は無くなりました。そしてこのときタイ国民にとって王様がタイ政府より上になったのです。

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