さらわれた娘の行方を追って


「シエンシエン(名前は偽名が使われる)のお母さんお父さん聞いていますか?3年前に消えてしまった娘さんが見つかりましたよ。彼女は元気です。帰って来たがっています。3週間後にタイとの国境近くのミャンマのタキレックまで迎えにきてくださいね。」やさしくしかしはっきりと山岳民族出のアナウンサーは自分たちの言葉でタイのラジオから彼女の両親にしゃべりかけた。
きっとまもなくミャンマ・シャン州に住む彼女の家族たちや仲間たちがこのニュースを聞いてタキレックに彼女を迎えにくるだろう。
この13歳の少女の詳細や家族の詳細は彼らを守るためタイやミャンマの機関に通知されない。違法にタイへ入国したシエンシエンと言う少女が居ることがラジオから流れるだけだ。
なぜなら、タイの法律から見れば、彼女が誘拐され売春婦として売られたとしても、違法にタイへ入国し働いていたことで訴えられる対象になる。ミャンマから見れば、民族の自由と民主主義のために活動するグループのスパイかもしれない。言い換えれば彼女はミャンマに住む山岳民族と同じ血のつながりを持つタイの山岳民族かもしれないのだ。そして、また彼女はエイズウィルスをミャンマに運んで来る感染者かもしれないのだ。
そしてまたシエンシエンを山岳民族の少女を誘拐しタイの売春宿へ売る組織グループから保護するためにも出来る限り情報は少なくするしかないのだ。
家族が与えられた3週間のタキレックに行く時間は、シエンシエンに取って、とても長い時間に感じられるかもしれない。彼女は11歳でミャンマでさらわれ、タイへ密入国させられ、そしてチェンマイの売春宿に売られた。

・山岳民族用のラジオ番組の始まり

もう会えることはないとお互い諦らめていた親と子供の再会の数はチェンマイのニュー・ライフ・センターとラジオタイランドによって実現された。そして、その数は100にも昇っている。
ラジオ・タイランドは6つの山岳民族語で、1日に18時間放送する山岳民族用の特別番組を持っている。
この番組は1964年アメリカの資金で始められた共産主義に対する国内防衛の宣伝が基となっている。
そしてタイの近隣諸国から売春婦として売られて来る少女は後を断たない今、この番組は娘をさらわれた家族の希望の光となっている。

正式な手続きで返せない理由

タイとミャンマでは他の労働者と同じく、若い少女たちを保護する正式の協定は無い。
また1400キロも接する国境線もまだはっきりしていない。これは国境付近では正式な入国手続きなしで簡単に密入国できることを意味している。
バンコクのミャンマ大使館では言っている「国境線を明確にするのは政府にとって重要なことです。しかし、これは大変時間のかかる仕事です。その間、不法入国者を取り締まるため、テンポラリな手続きを施行することをタイ政府に勧告しています。
そしてこれが違法入国者としてタイで悪い立場に立たされているミャンマ人、例えば逮捕すると脅されたり、賃金を搾取されたり、正しい扱いを受けられなかった人たちに役立つと思っています。」
ミャンマと密入国した違法労働者について話しあったタイ将校によれば、ミャンマ側は喜んで彼らの国民を引き取ると言っていると言うことだった。但し、彼らの身元の証明が在ればである。
「しかし山岳民族の少女は身元証明のIDカードなんかもってませんよ。」タイの将校は言う。
事実、何人かの少女の本国へ戻りたいと言う申し立ては、ミャンマ人であると言う実証が出来なくて裁判所で却下されてしまったことがある。
ニュー・ライフ・センターのアシスタント・ディレクタ、チョランダ女史は、少女たちをそのような状況にしたくないと言う。
「彼女たちの申し立てがミャンマ政府に取って真実であれ、嘘であれ、私たちは彼女たちに密入国で罰せられる危険を侵させたくないのですよ。私たちは彼女たちをお父さんお母さんの居る所へ法律で罰せられることなく、安全に返したいのです。」と彼女は言う。
彼らはバンコクのミャンマや中国の大使館へ連絡することはしない。「現時点では、国と国の問題があるので、私たちが正式な手続きをして、女の子を家族の元へやることは困難なのですよ。」と彼女は言う。

病気や風習の問題

しかし、もっと深刻な問題は山岳民族の風習や伝統に在ると彼女は言う。「正式に帰国しても彼女たちは村の人たちから軽蔑され、排除されてしまうこともあります。政府が彼女を正式に帰国させたら、それは村全体に知れます。そして彼女の異国での不道徳な生活がわかり、彼女ばかりでなく、親兄弟までもが村から拒絶されてしまうこともあるんです。」
またチョランダ女史は中国のユンナン省のジシュナンバンナと言うところの少女について話してくれた。「彼女の場合、キリスト教のあるボランティア団体がミャンマのタキレックで彼女を待ち受けてくれました。そこから中国シャン・ユンナンの国境まで送られ、そこでやっと両親に合うことが出来たのです。」
「ここ2年間はユンナンからの少女は保護していません。しかし、これは決してユンナンからの少女たちがタイに来ていないことにはなりません。なぜなら、別の慈善団体によってユンナンまで送り返されていることもあるからです。そして、中国の場合、国は少女たちの帰国を歓迎してくれません。共産主義の国では売春は大罪ですからね。
またシャン族の少女はセンターで保護したとき、約半数がHIV反応が陽性でした。彼女たちはセンターで治療を受けます。しかし、両親にエイズについて説明することは無駄になることがほとんどです。彼らに取ってエイズを理解することはのはとても難しいことなのです。このような場合、あなたの娘さんは不治の病気にかかっていると言うしかありません。」と彼女は言う。

ニュー・ライフ・センターについて

ニュー・ライフ・センターはキリスト教慈善団体で、1987年に出来た。センターの目的は山岳民族の少女を保護し、職業訓練をして性的に虐待された少女たちに誇りと自信を与えることにある。最初は18歳の女の子が入れる施設だったが、今は11歳から30歳までの約100人の少女や女の人が居る。
センターに住む女の人は3つに部類に分けられる。
(1)保護された人
売春宿などから保護された、虐待を受けていた女の子または女の人。
(2)危険な状態と判断された人
騙されて売春宿に売られそうだった女の子または女の人。
センターによれば、親が阿片患者だったり、孤児だったり、また村長が少女を売買するビジネスに関与している村に住んでいる女の子も含まれる。
(3)将来リーダーとなる人
リーダーとなれそうな女の人は高い教育を施される。彼女たちは村へ帰った後、良い影響を与えると期待されている。

ニュー・ライフ・センターの少女返還の方法

センターでは100人以上の少女を違法だが独自の方法で親元に返している。幸いにミャンマや中国政府に逮捕されたケースはない。彼らの番組がミャンマや中国の政府にモニタされているにもかかわらずだ。
「少女たちの両親や家族は役人のいない丁度良い場所へ、丁度良い時間に現れます。もちろん、予め家族たちには事前に我々のスタッフがアプローチしています。そして、もう一方のスタッフがタイの国境で少女と一緒に待っているのです。」とチョランダ女史は言う。
「少女は両親を見つけると泣きじゃくりながら走っていきますよ。幼い女の子の場合が一番感動しますね。中には5歳で誘拐されたり、騙された両親が送り込んだりした例もあります。送り込んだ両親は裕福な知り合いの家庭で自分の娘が良い教育と暮らしを与えられていると思っているんですよ。」と彼女は言う。
しかし、1度山岳民族の少女を家族へ返すことが出来なかったことがあったと言う。「その少女は小さいときにチェンマイへ連れてこられ、最初はある家庭で女中として働かされました。そして後、売春宿へ売られたんです。保護されたときには、山岳民族の言葉をすっかり忘れてしまっていました。もちろん両親のことは覚えていません。ただ自分が山岳民族であることだけを覚えていたのです。」

民族差別

チョランダ女史によればまだタイには民族差別意識があると言う。そして、彼女たちが山岳民族であるがために、彼女たちに何かをしてもかまわないのではないかと考えるタイ人もいるらしい。
チェンマイの山岳民族研究所によればタイには9つの山岳民族が住み、その数は74万人である。そして、そのうちの約1%が大学卒を卒業している。
民族差別はミャンマ側の状況はもっと深刻である。山岳民族の中には独立のためミャンマ政府と戦い続けている者もいるのだから。

これからも続くラジオ番組

チェンマイのラジオ・タイランドのタイ人スタッフヤラニー女史は言う。「私はこの番組が山岳民族に対する政治的な宣伝から共産主義に対する新しい戦略として変更された年のことを覚えています。意見や情報を尋ねるため山岳民族の人にチェンマイのラジオ局まで来て貰いました。彼らは数日かけてやって来ました。中には寝るところがない人が居たので、局に泊って貰ったこともあります。」
彼らの放送は村の冠婚葬祭も含む。今では山岳民族の人は手紙や電話で情報を送って来る。
今、カレン族、ヤオ族、ラフ族、リス族、アカ族の6種族の言葉で番組は放送されている。そして、今チェンマイにいる2万人のシャン族の強い要望で近いうちにシャン族の言葉の放送も予定されている。
番組はタイ人スタッフにより作成され山岳民族のDJによって放送されている。それは国内ニュース、国際ニュースや環境問題、健康問題そして教育などにも及ぶ。そして山岳民族のカルチャや音楽もある。
「この番組は山岳民族の文化、言葉そして歴史を守るためにも大きな役割を果たしていると思います。」とヤラニー女史は言う。
50キロワットで放送されるこの番組はほとんどのアジアの地域とヨーロッパの一部までとどく。一番離れたところではフィンランドから局まで聞いたと言う手紙が届いたことがあると言う。
「1960年代にこの番組は始まりました。ラジオ放送は電気の来ていない村や教育の受けられない村へ情報を届ける一番安い手段ですね。」とヤラニー女史は言う。

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