タイの民主主義

タイはニュース番組が盛んです。クーデター政府のため静かだったニュース番組がまた盛り返しているようです。しかし話題作りでしょうか政府の政策を批判する人たちが好まれて番組に出ている気がします。しかしタイも自由社会ですからそれを批判的に見ている人もいます。

ナタコン デワクラ氏と言うアメリカ育ちの若い司会者というかニュースキャスター?が人気があります。この人の親父はクーデターのとき大蔵大臣をやっています。いわば上流階級出身者です。しかし彼の発言は現政権よりタクシンよりでしょうか。彼は反タクシン派の多いバンコクの市民活動グループに総選挙結果を重んじろと主張しています。

3月上院選挙がありロッタナー女史がバンコク地区で77万票トップ当選しました。このバンコクの選挙では400万人の有権者の中から177万人が投票しましたから彼女がバンコクの票の半分近くを取ってしまった分けです。

何故彼女が人気があるかと言うとタクシン政権が始めた国営企業の民営化にストップを掛けたからです。反タクシン派の多いバンコク市民は喜びました。しかしこのことにナタコン氏がバンコク市民はおかしいのではないかと言い、波紋が広がっています。これは批判を受けたナタコン氏の言い分の一分です。

私はバンコクの上院選挙とそのとき当選したロッタナ タシタックル女史について以前酷評した。そのことについて多くの活動家方々がコメントしているので私見を述べたい。

まずそのコメントが私に賛同するものであれ、非難するものであれ、意見として私は受け入れたい。意見はそれが反対意見であってもその方の考え方であり、態度姿勢である。それが感情的に書かれたものであっても、そうでなくても私の論説を読む人たちに常に見せ続けなければならない物であろうと思っている。

私の書いた中でロッタナ女史をあざける部分があれば謝るが、しかし彼女に対する意見は変わらない。彼女たちはタイは過度な経済成長の政策を取っていると言っているが、私は国営企業の民営化は好ましいという立場を取る。これは変わらない。公的であり私的であり、反対する活動家や政治家の根拠のない検閲は天敵になっている。この考えも揺らぎはしない 。もっとも言いたいことはNGOの偏見ある消費者心理を語るより、投資家や会社の代弁者そして社会を良くしたいというのが私の立場だ。

ロッタナ女史はバンコクの上院選挙で投票者の50%近くを勝ち取ったがこの結果を私は全く尊厳を持ってみることは出来ない。この結果は私に取って、下院総選挙の北部や東北部の選挙結果を全く価値なしと見ているバンコク市民の地方を尊重しない態度を再び現したものである。

私もバンコクに住んでいるが、バンコク市民たちは地方の教育の少ない者たちの選挙が有力者たちの命令でされ続けていると考え、それに反対する合法的申し立てを行う権利が自分たちにあると考えていると信じざるえない。

これは我々バンコク市民が近代的デモクラシーに変貌して以来、周期的に北部や東北部の政党を国会から剥ぎ取ろうとしていることを示している。 地方から選ばれた政治家は充分価値に値するのだから、それを価値に値しないと言ってはならない。

しかしバンコク市民たちには汚職選挙が基にある地方支持者たちの発言を封じようと主張することで総選挙の結果を弾劾することが普通のことになってしまっている。これが現状、議論で正当化もされている。その議論とは地方の選挙は必要な代表者を選ぶとき票売るか田舎者の無能さが基盤にあると言う議論だ。

明らかにバンコク市民はバンコクだけがロッタナ女史のような汚職行為を監視する上院議員を持っているというプライドを持って、田舎に住むタイ人を技術的発展のない地方に住む者と過小評価し、ただ政治家のつまらない検閲に時間をさいては進歩と成長に気をもんでいる。この人たちはこれが地獄だと言う。もし政治家が行った行為で少しばかりの結果を得たとしても、良いではないか。

しかし彼らはこれが受け入れることはできない。タイの新聞は票で見えない庶民の意見を無視することが出来ないと微妙なニュアンスの言葉遣いで記事を書いている。だからと言って我々は大多数の要求を無視することは出来ないはずだ。田舎の人々は都市バンコクの少数意見を聞かなければならないのだろうが、バンコク市民も大多数である田舎の人々の意見を聞かなければならない。

バンコク市民は都会派の知識のある自分たちの意見が無視されていることに納得できないと言うことでしょうか。しかし民主主義選挙は少数意見の尊重と言う守るべき決まりがあっても所詮多数決主義です。今まで国の政治政策に関わってこなかった民族やグループが多数を取れば政権を得る事が可能ですが、今まで国を治めてきた特権グループや階級に取っては面白くないでしょう。これが今まで治まってきた国を不安定なものにしてしまいます。


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