今年最も影響力のあった軍人

日本の新聞が静かなクーデターと書いてましたが軍が今回の新政権誕生に如何に動いたか分かると思います。

「私は意図的に権力行使し人を動かしたり、また命令したりしたことが無い。もし私が本気でチカラを行使しようとしたらクーデターを起こしていただろう。」アヌポン将軍は「今年の影響を最も与えた軍人」に選らばれたことに対しコメントした。

バンコクポストのインタビューで彼は新しい政府を作る際に、彼の住居地区でタイ民主党と幾つかの小政党間のミーティングが行われたことを認めた。このミーティングは12月3,4,5日に新政府成立のキーマンとなった元タイ愛国党のネビン氏を加えて行われている。

「彼らは私にアドバイスを求める電話をしてきた。そしてミーティングへの参加を求めて来た。しかし私は政府をどう作るかのこの計画に参加していない。私は彼らが国の利益のために何をなすべきか提案しただけだ。」アヌポン将軍は新政府成立会議に参加していないことを主張した。「新聞には本当のことが書いてなかった。」彼はメディアが彼を不当に批判していると言っている。

もし彼が政治から距離を置こうとしたとしても彼は怠惰として非難されただろう。

「このことのついては民主党政府を作り、操っていると非難を受けている。」そして彼は国の政治問題をクーデターで解決しようと思ったことは1度もないと強調した。

アヌポン将軍は2006年タクシン氏を追い出すクーデターに加わった軍司令官の中の1人だった。そしてこの軍司令官はタクシン氏とArmed Forces Academies Preparatory School で同期生でもある。そしてそれから19年を経て彼は軍のトップに上りつめた。

2007年12月総選挙で、解党させられたタイ愛国党の生まれ変わりだと言われる国民のチカラ党(PPP)が政権を握った。このとき、タクシン氏を追い出した将軍だと言われながら何とかやってきた。このとき首相になったPPP党首サマック氏はアヌポン将軍に迎合することで軍とうまくやっていけると思っていた。

そしてサマック首相は国防大臣も自ら勤め、またアヌポン将軍とは海外などにも一緒に行きうまくやっているように見えた。しかしサマック首相がPADの首相官邸占拠に戒厳令を出したとき、すぐに彼はサマック氏の支持者ではないことを現した。彼はサマック氏の命令を拒否し違法に官邸を占拠していたPADを排除することに軍を出動させなかった。

数週間後、サマック首相は憲法裁判所から違法な副業をやっていたとして解任された。

そしてあとに 首相になったソムチャイ氏をPADと警察の衝突で死人が出たことで、この将軍はプレッシャーをかけ続けた。

そしてアヌポン将軍はソムチャイ首相に首相を退くように勧告する。この勧告にPPPのメンバーは驚いた。最後にはソムチャイ政権は反政府デモによる国際空港の占拠も治められず政府として機能出来なくなってしまった。そしてPPPは選挙違反で憲法裁判所から審議もないまま解党させられた。

この数週間の政治の動きを見てアヌポン将軍がタイ民主党政権誕生に何もしていないと言うことは出来ないだろう。

タイ民主党は国防大臣にアヌポン将軍の部下だったプラワット将軍を任命した。プラワット将軍が国防大臣になったことでアヌポン将軍の地位はより安泰したことは確かだ。
タイの軍隊は国の軍隊、国民の軍隊ではありません。王様の軍隊です。タイ政府が命令しても従う必要が全くないのです。暴動が発生しても警察も軍も動かないならば政府は何も出来ません。つまり軍は国民が選んだ政府を気に入らなければいつでも潰せると言うことです。


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