タクシン氏の帰国スピーチ

2月28日クーデターで追放されていたタクシン氏が帰国しました。それが分かったのは2日前でした。

2月28日国外追放されていた元首相タクシン氏はペニシュラ.ホテルの記者会見で、彼のは17ヶ月に及ぶ海外の生活を振り返り語った。

「2006年9月19日クーデターが起こったとき、私は翌日にすぐにタイへ戻る気でいた。私はスポーツマン.シップを持っている。私は率直に自分が負けてしまったことを受け入れていた。

私は率直にタイに帰りたかっただけだった。しかし周りの人すべてがしばらく海外に留まるほうが良いとアドバイスしてくれた。そして私は同意した。クーデター軍は私に電話をして来た。私は潔く負けを認めていると彼らに言った。私は全てが終わった事実を認めていた。 私はすぐに和解委員会を作ることをクーデター軍に頼んだ。

最初私は長くとも2,3ヶ月で帰国できるだろうと考えていた。私はホームシックになっていた。私は家族と共にタイで暮らしたかったのだ。

すぐに戻れると考えていたが認めらず、結局は17ヶ月を海外で過ごさねばならなかった。これはとても長かった。

私が海外任務でタイを出たとき私は首相だった。私はASEMに出席し、非同盟国運動のリーダーの会議に出、そしてそのとき次期国際連合議長を目指していたタイ代表スラキアット氏を応援しに国連に行った。

今日、戻ることができたが私は訴えられている。すぐに自分の裁判に直面しなければならなかった。私は容疑者として指紋を採取された。私は悲しかった。しかしながら、私は私の政治衝突で非難され、苦しんだ人たちに悪いことをしたと思っている。それは彼らを苦しめただろう。彼らにホントに謝りたい。

タイの人々が12月の総選挙で彼らの権利を行使したとき、多くの人が自分たちの態度をはっきり見せることが出来て良かったと思っている。状況がはっきりとして来た。民主主義が戻ってきている。今、私は自分の無実を証明し、尊厳を取り戻したい。それが不公平な扱いで傷つけられてしまっている。

私はここで強調したい。私は2度と政治に参加しない。多くの政治家が私に会いに来るのを見て疑うものもあるだろう。しかし彼らはこの長い間会えなかった知人なのだ。彼らの何人かは私が政治の世界に誘ったものもある。彼らは私が懐かしいので挨拶したいと思い来てくれているのだ。しかしこれが私が政治に戻ると言う意味ではない。

私はタイの1市民としてタイに住みたいと思っている。タイ国ほど私や家族が幸せを感じる国は他には無い。ここは私が家族と共に平穏に、この後もずっと過ごしたい国だ。

私は今年59歳になった。人生も後半に入っている。それゆえ残りの人生を社会のためになることをしたいと思っている。

私は裁判で私の名誉を傷つけた訴えに対しこれから戦わなければならない。このプロセスの中で慈善活動、スポーツそして教育活動に貢献したいと思っている。タイの市民として国民に有益になるならばなんでもしたい。

この17ヶ月間、私は中傷され不適格なタイ国民になっていた。しかし、その間も支援を続けてくれた人に感謝したい。 今、アメリカのサブプライム問題や石油の高騰で世界経済は非常に流動的になっている。タイはこの状況にしっかりと立ち向かい、そして退かず前に進んでいってほしい。全ての人にお願いする。この国の問題を解決するべくみんながベストを尽くして欲しい。そうすれば我々は海外から来るどんな不安要因にも充分に対処でき、国際競争でも生き残っていくことができるだろう。

・クーデターを起こした人たちは

クーデターを起こしたソンティ将軍は自宅でタクシン氏のテレビ放送を食い入るように見つめていたと言う。彼は1週間前、より安全なある軍敷地内の住宅へ引っ越している。ここには王様警護の警備兵がいる。情報源では彼を護衛していた特別戦闘部隊の兵士が元の部署に戻るよう命令されたためらしい。

クーデターの影の首謀者と言われる枢密院プレム将軍はタクシン氏のTVを見た後ゴルフに出かけたと言う。彼は反クーデター団体から訴えられている。

スワナプーム空港にはタクシン氏の帰国を歓迎する人たちが大勢押しかけていました。バイクタクシーの運転手も駆けつけ喜んでました。彼の人気はクーデター後でも落ちてはいないようです。

彼の帰国後大蔵大臣が彼にアドバイザーになってくれるよう頼んだそうですがタクシン氏は返事まだしてないようです。


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