南タイ解決には認識の違いを埋めることが大事

南タイの独立分離派はタイ政府の情報提供者の家族を子供も含め9人を射殺する非情な行動に出ています。何故彼らはテロ活動を続けるのだろうか?平和、平和を唱えるだけでなく南タイについて詳しいことを知ろうと言うタイ人が増えているようです。またそういうセミナーも出来てきました。

今日草の根大学の特別講義が行われた。そこには学校を休んで受講する高校生の姿も見受けられた。ここでは南部タイ3県パッタニー、ナラティワートそしてヤラの歴史について講義された。この講義を聴いた生徒たちはほとんど知らないことばかりだったと言っている。

「私は何故南部タイの騒動が治まらないのか、殺し合いが続くのか不思議でした。」アユタヤから来た高校3年のコングラップ君は語る。「聞いた講義の内容が全てが私にとって始めてのものでした。これはショックでした。私たちサヤム人は無節操な手段で南部タイを占領したんですね。」

歴史家のニディ氏によればタイはまだ真実の歴史を教えていない。教育システムの根本が駄目にしてしまっていると言っている。「今我々が教えていることはメコン川下流に出来た先祖伝来の国についてだけですが正真正銘のタイの歴史が書かれて残されているんです。特別なグループが偏見で描写したのではない、他の王国を支配した事実が同様に語られるべきだと思います。」

第3者のネットワークによって作られたこのセミナーは南タイ3県の知識のギャップを埋めるようと考え出された。講義を聴こうとチュラロンコーン大学の聴講室は満員になった。そこには南タイの騒動の裏側を理解したいという欲求、少なくとも強い興味が働いている。

今いろいろな要因が引き合いに出され、サイアムとパッタニーの関係にスポットライトが当っている。南タイは全く知らない地域だったことが多くの人たちに分かり始めた。最悪なことは教育制度は真実の歴史について無視していたことだ。中央で作られた歴史が教育に使われ、南タイを偏見で判断し取り扱っていたと歴史家シリサカラ氏は言う。「南タイには多くの反乱分子が外部から入り込んでいます。同時に政府もこれに対処すべく人々を送り込んでいます。このことで問題が複雑になっています。そこに住む人たちは彼らの間で苦しんでいたのです。伝統的に語られてきた歴史の根本を変えることは多くの疑問を生み出します。

地元の歴史について学ぼうとする人に我々歴史家が語るものは何なのか?誰が中心で主張しているのか?何が中心になって語られているのか?政治、文化、経済、何なのか? これは単純にタイ半島の入植者の源は誰なのかを決める以上にこれは大事なことです。分かりきったことかも知れないが我々歴史家が答えるべきことは現在のパッタニー、ヤラ、ナラティワート3県がタイにどのようにして合体したかなのです。」

1939年までタイがまだサイアムと呼ばれていたころパッタニー領土の分離派と軍事衝突をしていた。(サイアムは彼らを反乱分子と呼んだ)しかしお互いの利益を考え意見が一致し和解した。歴史家は柔軟性にとんだ緩い和解だったと言っている。しかしそれからも2世紀の間バンコクへの不満分子と衝突が続いている。「実際、2つの王国の力は決して同じではありませんでした。しかしパッタニーは植民地ではなかった。自立権を維持していたのです。パッタニーは従属国だがサイアムの1部ではなかったのです。」

19世紀にバンコクの政治体制が近代化するに従い、中央集権が進む。これは東南アジアで西欧の植民地化に対する対応策だった。初期の政府は統合政策で厳しく南タイの領土問題に対応した。そしてタイがラム1世のころパッタニーを7県に分離し、タイ王国の領土とすることが計画された。「しかしながら最初の居住者たち、支配者たちは昔の属国関係を望み、そしてそのように回復しようとしました。住民たちは支配者たちの考えに加わりサイアムと衝突しました。サイアム政府から見れば彼らはならず者でしたがそのころはまだ宗教や人種問題は在りませんでした。」歴史家たちは言う。

その後続いた強制された同化プロセスが怒りと疎外感をパッタニー人とサイアム人以外の人たちに与えた。

プリーク ピブルソンクラム政権時代には視野の狭いタイ人の概念すなわちタイ民族と仏教徒が市民権を得るという超民族主義キャンペーンが立ち上がっている。これに マレーシアのイスラム教にしたがっていた南タイの人々は疎外感を覚え、また恐怖したのだ。

第2次世界大戦が終わってから3つの基本問題すなわち宗教、人種そして領土問題が大きく現れて来た。「ある風刺画でタイの民族意識を1つにしようとした政府がマレ系パッタニー人を、銃で撃っているものがあります。これは言い換えれば、一致団結の考えを促進してタイ国の樹立を駆り立てるものでした。」

この衝突の悪循環を我々は終わらせることができるのか?そうすることが可能なのか?

この最初のステップが我々の無知を知ってそれを克服することなのだ。「お互いの文化を知らないと相手の国民を見下す傾向が強くなります。」ある歴史家は言う。「実際南部タイは教育の現場の大きな穴だったのです。南タイの歴史は中央では語られなかった、そして研究されなかった。歴史家は知識を積み教育に奉仕するばかりでなく、また研究論文を雑誌で発表するだけではダメなのです。目標は正しい認識を与え、国民に力を与えることです。」

この南タイ3県とタイ人とギャップを埋める運動はモスリムのスリサカラ氏がパッタニー県バンダト地区で始めました。彼は2、3年前に歴史の研究を始めて南タイの人々でも年代でギャップがあると言っています。そして今の南タイの若者は間違った情報を与えられていると言っています。

タイ国はタイ、イサン、モン、カレン、ヤオ、パッタニーらが別々の文化を持ちそして一緒に国を作っている。お互いの文化歴史を知り尊重することが大事だと言うことでしょうか。


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